死んだ後を考える

これは、あるお医者さんの言葉です。

職業柄、いろいろな方の死と
向き合ってきて、自分自身もある程度の
年齢になられたときに、
思われたそうです。
ちなみに終活などの身辺整理の意味合い
ではなく、あくまでも今やることの
視点を、少しだけ死んだ後も視野に
入れて考える意味合いのようです。

そのお医者さんも、元気で若いうちは
色々な事に忖度し、
仕事で出世しようとか、
研究成果を上げて、認められるには
誰についたら得か、とか、
お金を儲けて、あれを買おうとか
こんな風に遊びたいとか、
今を中心に生活していましたが、
ある程度の年齢になったら、
自分の為にも死んだ後を
考えることが、とても大事だと
思うようになったそうです。

きっかけは患者さんの中で、
いよいよ自分の死を目前にした時、
自分の死を悲しんでくれる人が
いるのかどうか、
不安になる方が結構多いそうです。

家族の為と言いつつ、
仕事一辺倒で頑張ってきたけど、
自分の死を、
家族は悲しんでくれるのだろうか?
亡くなった後にほっとされるのでは
ないだろうか?

これまで仕事で偉い人に媚びたり、
後輩に厳しくしたりした結果、
偉い人は先に死んでいないけど、
後を生きる後輩は、自分の死を
悲しんでくれるだろうか?

など、意外と死を目前にして、
過去の生き方が心配になったり、
悪いことやズルい事をした事が、
死を目前にしたときに気になり、
悔いる人が以外と多いそうです。

で、そのお医者さんは、
自分が死んだ後に、そのような人達を
たくさん見ているうちに、
今の自分が先々どうなるか、
ということだけではなく、
自分が死んだ後は、
家族はこうなっていて欲しい、とか
仕事では、後輩にこうなっていて欲しい、
とかそのような視点を持つ事によって、
自分の考え方や行動が変わってきた、
と言われていました。

視点が自分中心や
忖度の結果でなくなる為、必然的に
悪い事やズルい事、後ろめたい事が
少なくなっているとのことでした。

いずれにせよ、昔は
良い行いをすれば天国に、
悪い行いをすれば地獄に、という考えと
同じになってしまうのですが、
結局は死を目前に
そのような思いを持つくらいなら、
きちんと周囲との関係性を考えながら
生きようということに
考えが及んだそうです。

天国や地獄の存在がわからないまでも
昔、祖母や母から聞いた話の通り、
真っ当に生きていないと、
死を目前にした時、
初めて大きな後悔にさいなまれる事に
なるのかもしれません。

これは、ひょっとすると、昨日のテーマ、
因果応報の最大の報いかもしれません。


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