私は労働審判前になる前、
パワハラもセクハラもいじめの構造と
同じだなぁ、と思うことが
よくありました。
いきなり何の説明もなく、
降格や減給が繰り返され、席は部内の
一番末席の隅っこに移されました。
トップがこのような事をするから
みんな寄ってたかって叩きます。
叩けない人は関わらないように
腫れ物に触るように接してきます。
時には関係ない部署の人が、
上の人に直接言えない文句を
私に言ってきます。
課長の仕事も部長の仕事も
全部わかっているただの平社員だから。
この叩かれる構造を、
耐えられるうちは我慢しよう、と
思いましたが無理でした。
ある日、上司のゴリ押しの仕事に
堪忍袋の緒が切れるというか、
心の中で何かが切れて、
からだ中の力が入らなくなりました。
「もうこの会社には行きたくない」
33年間勤めてきた会社なのに、
最後の思いは、これでした。
私が私自身や家族など、
大切にしたいと思っているものを
守るために選択した手段です。
自分自信を大切にできない人間が、
家族や大切なものを守れるわけはない
というのが以前からの私の持論です。
そして休んだ後、
冷静に考えられるようになった後、
大切なものを守るために選んだのが
労働審判です。
それが今回の労働審判を選択した
きっかけです。
私は今回、労働審判という手段で
それを打破することができて
本当に良かったと思います。
これまでの繋がりの中で、
助けてくれるかたが大勢いました。
今こうしていられるのも
その人たちがいてくれたからこそです。
やっぱり思うのです。
「正々堂々」
自分にやましいところがなければ、
それを貫いていけばいいのだと。
この経験が、
同じように苦しんでいる
どこか誰かの
お役に立てれば幸いです。
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